文化ってなんだろう?
23歳の社長が
今の時代に届けたい
日本文化との向き合い方

文化ってなんだろう?
23歳の社長が
今の時代に届けたい
日本文化との向き合い方

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日本舞踊より
ヒップホップダンスに
はまった幼少期

日本舞踊をはじめたきっかけは私が6歳のとき、母の勧めでした。母は仕事で海外に住んでいた時に、自分は日本人なのに日本のことを話せないことにものすごく恥ずかしさを感じていたらしく、自分の子供には何かしら日本のものを触れさせたい!という思いと、あとは何か身体で表現できることができれば!ということで習い始めました。
当時の私は伝統芸能とか日本のものっていうのに好きとか、かっこいいとかは全く無くて…どちらかというと母にやらされている感の方が強かったですね(笑)
むしろ小学5年生の時に、たまたま知り合いがやっていたジャズダンスやヒップホップの発表会を観に行ったことをきっかけに、ダンスのほうに完全にはまり込んでしまい、日本舞踊よりもダンスの方が中心になっていましたね。

やまとふみこに
ひと目惚れした高2の冬

ダンスは他の子らよりも習うのが遅かったのもあって高校生に入る頃ぐらいにその差がちょっとずつ出てきて…そろそろ辞めどきかなって思っている時に、母と(やまと舞の)姉弟子の母親が友人同士で、娘が出るから見においで、とやまと舞の公演に誘われたんです。それが私とやまとふみこ師匠の出会いでした。
やまとふみこ師匠の踊りを見た時に、いつもつまらないと思っていた日本舞踊がものすごく面白く感じて、”かっこいいな” ”美しいな” というのを感じたんです。
言葉にするのが難しいんですが、別に何か着飾っているわけでもないし、絢爛豪華なわけじゃないんですけど、身体一つしかない状態で、かっこいいを表現しているというか、10でかっこいいを表現するところを1でかっこよく見せている人だなと。そこの圧倒的な存在感はすごかったなと思います。
あとは、姉弟子も当時22、3歳と若く、大学を辞めてやまと舞に入門したというお話しも聞いて「そういう生き方もあるんだ」と、私にとっては衝撃でした。

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やまと舞への入門と学び

そこからやまと舞への入門まではめちゃくちゃスピード速くて…!きっかけとなった公演が12月ぐらいで、年末には師匠のもとへ入門を志願し、入門してから毎週土日は車で2時間半かけてお稽古に通い始めました。その年の3⽉の終業式で高校を中退することを決めて、やまとふみこ師匠のもとに住み込みでお稽古をするようになりました。
同世代の子らと違う道をあゆむことになったのですが、そこに抵抗は無く…もともとみんながハマっているものじゃないものを好きになりたかったし、むしろこういう生き方もあるんだよって示していければ面白いかなと思っていました。
内弟子に入って学ぶことはとても多かったです。舞の技術や礼儀作法はもちろん、その時は気付かなかったですが、一緒に暮らしていて、食べるものも添加物が入ったものはほとんど出ないですし、ご飯は家にいる人たちみんなが揃ってからでないと食べないですし、身の回りの家事洗濯全てする事によって足袋を洗うときには、どこに力を入れるんだとか、そこで腰を鍛えられて、そのまま舞の腰を⼊れる事に役立ったりとか、そういう日常から舞の技術や礼儀作法を鍛えられていくところはありましたね。
でも、外の世界も見てみたいという気持ちが強くなり、一旦区切りをつけるためにも師匠のもとを離れて、東京に出てきたんです。

文化価値創生

日本伝統文化の保存・
継承する文化創生活動

文化の衰退を食い止める
継承者の育成マネージメント

若い世代へ、伝統文化・芸能に
感動し魅力を伝える啓蒙活動

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やまとふみこ とは

Profile

九歳より歌舞伎舞踊・古典舞踊の本流である尾上流初代尾上菊之丞師の下で研鑽を積み師亡き後、独立。以来、東京国立大劇場・大阪歌舞伎座・和歌山文化会館大ホールでのリサイタルに加え海外公演も多数開催。故郷和歌山にゆかりのある“京鹿子娘道成寺”に度々取り組み、人間国宝 中村雀右衛門丈に指導を仰ぐ。その後、全国一ノ宮百八ヶ所で舞行脚をし四年間で踏破、舞の原点を探る。現在も全国の神社で舞奉納を継続。国内外で日本の文化、やまと心の伝承を努める。令和元年 一般財団法人 母なる愛 やまとのこころ 設立。
~学校関連活動歴~
・平成19年~平成24年 学校法人りら創造芸術学園りら創造芸術高等学校にて伝統文化を教える ・学校法人木下学園 安原幼稚園(和歌山市) 学校法人共立学園認定こども園 新光明池幼稚園(和泉市)舞を通して、行儀作法を教える。

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師匠と離れて気がついた
東京での暮らし

東京に上京してきて、不動産営業の仕事をしました。家が⾃営業だったのもあってか、ビジネスや経営には昔から興味を持っていて、いつか会社立てたいな、という漠然なイメージは持っていたので、それに役立つ仕事を選びました。東京にいるといろんな人と会うようになって、これまで師匠と一緒にいていろんな世界を見させて頂きましたが、やっぱりまだ小さい箱の中にいたと感じました。踊りだけでやっていくことの大変さをものすごく知りましたし、私自身が求めている生活レベルを叶えることも難しいなと思いました。
師匠がやられていることはものすごく意味があるし、こういうことが広がっていけばもっと世の中変わるのになと感じるところはあって、一方で師匠のように踊りだけに没頭して生活できるような時代でもないため、踊りだけでは無理だと思いました。でも師匠が伝えていきたいことや私が感じたことって、踊りの技術よりも多分精神なんだろうなって思っていたので踊りだけではない何かで広められることが、私にはできるんじゃないかなと思いました。 今の時代に生きながらも、師匠がこれまで培ってきた精神を広めるには踊りだけじゃなくてもいいんだ。ということに辿り着き、もっと文化に貢献するという規模感大きな領域で伝えていければって思ったんですよね。
…で、本当にすっごい軽い気持ちでUZUMEという会社を立ち上げました!
なんていうんですかね、会社立ち上げに対しての不安とか覚悟とかは全く無くて、むしろ何か自分のできることの枠が増えるなと思って会社を立ち上げました。

UZUMEを通して
日本文化の価値創生を

UZUMEの会社の理念を掲げている文化の価値創生を軸に事業を進めていきたいと思っております。文化って古いものが決して文化でもないし、格式ばったものが文化でもないし、日本人の生活そのものが文化だと思うんです。ただ今はその生活そのものも崩れかけてきていると思うんですね。
文化の始まりって食が原点でもあると思っていて、食卓を囲んでみんなでご飯を食べるっていうのも文化と思うんですけど、現在、朝〜晩と食卓囲んでみんな揃ってご飯を食べている家族って1%未満なんですって。それだけコミュニケーションが取れてない家族がいて、昔は子供たちが学校で嫌なことがあっても家族団欒みたいなものがあったから、たぶんですけどそこで消化されて自殺とかが少なく抑えられてきていたと思うんですよね。
文化っていうものはやっぱりそういうことだなと、全てに意味があると思っています。UZUMEではそういった日本の根底が崩れているところをもう1回再生していきたいなと思っているんです。当たり前のことだったことを当たり前にしていこうよっていうのがUZUMEでやりたいことですね。それが伝統とかに縛られず、文化・食育などの活動をおこなっていくことで、日本文化というもので価値創生していくことができればと考えております。

日本文化の根底、
食育に目覚める

またUZUMEを通して、日本文化の価値創生をしていくという背景には、やまとふみこ師匠とは別に二條隆時宗匠との出会いがありました。宗匠から一番学んだことは「文化の根底」です。やまとふみこ師匠から伝えられたものとは全く違う視点で教えて頂きまして、「学ぶ」とはなんなのか、「和」とはなんなのか、「文化」とはなんなのかを考え、師匠の元で、身体で学んでいくものがより具現化されていきました。
UZUMEの活動では今後食育事業も行っていくのですが、宗匠は日本文化の本性は食にこそあり、世界中どこ探しても、これ程食に対する多様性や意識を向けている国はない。食することが日本文化の根本だとおっしゃっていました。
そういった背景もあり、UZUMEを通じて日本文化、食の価値創生をしていければと考えております。

食育

日本の農業技術の発展に寄与し、
有機野菜を活用した商品の流通と、
粉砕技術を活用した商品化・備蓄の実現。

デザイン・クリエイティブ・
編集力を活かして現代の子育て世代の
ライフスタイルに合わせた
「食卓に笑顔をもたらす食品」を開発。

安全性・品質を最重視し、無駄・廃棄を
限りなく減らすソリューションを提供。

無形文化財としてアップデートされ続ける
和食のカルチャーの創造に寄与し、伝承。

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二條隆時 とは

Profile

昭和39年東京で生まれる。三歳から御家流15代家元 二條偽晴(祖父)に師事。國學院大學大學院修士課程修了。平成9年香道の家元襲名 同門会理事長就任 桜月宮宮司就任 平成20年 初心者対象の香道流「桜月流」を創流。初代を襲名。
内閣府承認NPO法人 香道と日本の雅文化会理事長就任。
以来、国内外で香道の紹介や各地での講座を通して、香道の周知や 普及に励む。文部科学省や文化庁 外務省との連携で伝統文化子供教室 海外公館での文化紹介。
NPO法人 香道と日本の雅文化会 理事長 香道 桜月流 元家元 桜月宮 宮司 歌人 茶人 仮名書家 香道家

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UZUMEの主な
活動内容について

幼少期から伝統芸能に触れ、技術だけでなく人としての生き様を学ばせて頂く機会が非常に多くありました。
その中で日本人としての在り方を学び、多様化されていく時代だからこそ先人たちが培ってきた文化を価値創生し、精神的・肉体的に軸のぶれない身体を作ることが必要だと確信致しました。
精巧な身体を作る糧となる「食」・精神文化を守り続けてきた伝統文化・芸能。それらをより未来に残し、豊かな社会を作る礎となるよう株式会社UZUMEは運営して参ります。

これからのUZUME

どんな環境になっても、どういう未来になっても、日本の会社だという事で残り続けていきたいなと思っております。UZUMEで食育事業を行なっているのも、これから災害が起きたとき、誰もが求めるものが食べ物だと思うし、食べ物が文化を作ってる部分は非常に大きいと思うので、どういう状況になっても求められる日本の会社でありたいなとは思っております。
また、伝統文化や芸能に関わっている人たちがもっと密接に社会に貢献できるようなきっかけを生むことができる会社でありたいと願っています。